感謝
ニュース
まるで映画を見ているようで不思議に実感がわかないのだが、現在全世界で同時に起きている歴史的事実だ。
日本国内から世界各国まで毎日感染者発生などコロナのニュースばかりだし、みんなそのことが一番気になる。
もちろん私とて例外ではなく、就寝前にも、起床時にもお昼休みにもお茶の時でもネットニュースをチェックしてしまう。(昔からニュース好きだが)
いつもながら病院関係者の方々に頭が下がる。専門的に公衆衛生や感染症についての知識を持ち、対策も実践されているにしても、一般人よりも感染リスクは高く、緊迫した職場で精神的にも大変だろうと察せられる。平常時では当たり前のことが、非常時には本当にありがたいと感じる。
自分自身は一般的な常識+αと、公に与えられた+α情報で感染予防に努めるだけだ。(+αは多少の身心の知識を持つという意味で)
ウイルスや病原菌は目にも見えないし匂いもないので、自分がしていることが予防になっているかはわからない。なのでなんとなく不安になったりもするが人によって捉え方は様々で、中にはそんなん大したことない…私はうつっても症状でえへんかでても軽症や…とキッパリ言われる強者もおられる。
お付き合い
しかし今、仕事やお付き合い等のために本当はあまり行きたくない場所へ参加せざるをえない場合…その状況にもよるが、断る勇気があるだろうか?それともそれは心配し過ぎで、きっと大丈夫だろうと信じ込むか…。
平常時にはちょっと近寄りがたいがこんな時には、私は(〇〇のご加護を受けているのでor選ばれているので)特別なのでうつらない,と信じ込んでいる方々は強い。自分はそうなれないので素直にすごいなぁと思う。
どんな人でもその時の体調、精神状態、環境、ホルモンバランス等々で考えが弱まったり強まったりする。ただ今は経済が停滞してしまい、物理的に精神状態が悪くなりがちだし、そうでない人でも感染への不安で精神状態が良くない。
なのでどうしてもマイナス思考に寄りがちだ。暗い気分にならないために、相当自分を励ましして日常を過ごすため、身心もまた疲弊する。ストレスを発散するのも自粛ムードなので発散しにくいが、こういった悪循環を各々で工夫して断たないといけない。
良い睡眠、軽い運動(屋外で日光を浴びるほうがbetter)、バランスのとれた食事(和食を推奨)、そして周りの方との交流…好きな趣味…。
繰り返しになるしあまりにも平凡な対策だが、本当に健康的な基本的生活を実践し、平常時の体調を維持することが、唯一誰でも出来る対策だ。
情報操作
国によって操作する規模は大分違うかもしれないが、多かれ少なかれこういったことはある。また色々な利権等々が関係したり、一部の人間の愚行によって偽情報が流されることも多々とある。なので私はネット等にあげられた情報は参考程度にとどめ、100%は信じないことにしている。何が嘘で何が本当か全くわからない。
そして、たとえどんなに素晴らしい内容の情報でも、批判する人は必ずいるのが通常だ。そして批判が批判を呼ぶ。否定的な文はそのやりとりを見るだけでも、多かれ少なかれ精神的に疲弊することがある。
このような膨大な情報に惑わされて振り回されるのはごめんだが、全く情報を知らないのも不利になる場合もあるので、最低限のニュースくらいは知っておいたほうがいいと思う。
品薄
マスクやトイレットペーパーや消毒グッズ、海外では食料品なども 品薄だ。
海外では店頭での奪い合いも普通に起きるが、ヨーロッパなどでは一斉に窓から声援を送る等の励まし合いもされている。日本ではそれはないが、商品の奪い合いのニュースは今のところまだ聞いてはいない。しかしおおよそ人間である限りは、世界中で大体同じような行動をしているのを知り、当たり前なんだろうが不思議な感覚に陥る。
現実にスーパーなどで買物をしていると、平常時なら全棚埋まっている様子が…あちらこちらと在庫がなかったりする棚がなんとなく目立つ。たまたま春からの新商品に変わる為なのか、品薄なのかはわからない。ただどこのスーパーでもちょこちょこ見受けられ、こんな時なので色々勘ぐってしまう。庶民的な一般人はこんな日常的な、なんでもないことに非常を感じる。
感謝
今現在、マスクや消毒液やトイレットペーパー等の製造現場や…ウイルスの研究や医療従事者や保育園・児童館職員等々…疲弊しながらぎりぎりのところで頑張っておられる方に感謝せずにはいられない。ありがとうございます。
また諸外国の様相をニュースで知り、国民皆保険制度のある日本、きれい好きな日本、規律を守り冷静な人の多い日本…それなりの生活水準で暮らせる日本等々、様々なことで普段以上に、日本人に生まれてきて良かったなぁと思う。
心を和ませる笑顔もこんな時には不謹慎さも感じ…実際マスクをしていると表情も読みにくい。せめてあたたかい眼差しとか、言動が出来ればと思う。
人間
ジェンダー
性差について注目され始めた時期だったのか、下の子供が小学低学年の頃に女性の担任教師が、男女問わず「〇〇さん」と「さん」づけで生徒を呼んでいた。昭和育ちの私は気持ち悪くてあんまりいい感じはしなかったが、これも時代の流れなんだと自分に言い聞かせた。
男女の性差が何故いけないのか、わからない。古めかしいかもしれないが、生まれながらにして違う体質や性質で、それをひとくくりにすることは不自然さを感じる。
お互いの得意分野で能力を発揮したほうが合理的だと思うのだ。
もちろん性差に関しての病のようなもの(病とは言えないかもしれない)をお持ちの方を否定はしない。ここでの話は私を含め、世間一般の大多数の人をモデルとした話だと思ってほしい。
自然
例えば一流のアスリートを比べても、女性は男性ほどの記録はどうしても出せない。
それは生まれつき骨格や筋肉や身体の作りの差があるからだ。
例えば骨盤の形が、男性は縦長、女性は横長…女性は卵巣や子宮など子を宿し出産するためにはその形のほうが都合がよかった。
脳も男女で差異があり、女性は右脳と左脳の間の脳梁とい神経の活動がスムーズで、一般的には何かしながら他のことを同時にしたりするのが男性よりも得意だ。
まぁつまり…一部両性具有の生物や性差もなく自分の身体の一部からコピーを作る生物とは違い、人間を動物として考えた場合は他の哺乳類の場合とそんなには変わらないのだ。(極度に発達した脳以外は…)
進化
脳のお蔭?で他の生物とは違った…進化とも退化ともいえる独特の発達をしてしまった人間…。男女役割分担で生活するほうが無駄がないという私の考えを友人に話したら、仕事において力仕事でなければ(IT等)は男女差はないのに給与差や権威差(昇進等)があるのはおかしい。という意見であった。
友人も私も男勝り(死語?笑)だからか、その意見には同意した。
しかし経験上、女性の多い職場は統制が非常に取りにくいものだ。なので女性多数の職場にちょろっとおられる男性の方は本当に同情する。逆の場合は働きやすいが、大体同等数いるのがベターだと感じる。
かくいう自分も女性だし批判をしても仕方ないが、自身は幼少の頃からどのグループに属するのもイヤな少数タイプだった。かといって別に男性とばかり過ごすこともなく…なんとか類友を見つけたものだ。
話がそれたが、とりあえず日本では、一般的には男性のほうが社会生活に適応しやすいし、まだまだ男社会だと感じる。私には社会が男尊女卑なのではなく、自然のことのように感じる。また別段世界に遅れているとも感じない。大体人間としては退化していってるのに、進んでるというのが何を基準にしているのかがわからない…。
どちらにしろ、ありのままの自分でいられるのがベストである。
オリジナリティ
世界には多種多様の人種や民族が存在する。みんな違ってみんないいと思う。その人種によっての生物学的な違いや、民族による歴史文化環境による違いがあり、それをお互いに理解し合うのは中々難しい。
例えばある地域で長年食していて安全な食べ物は、他の地域の人間には消化できないものかもしれない。あくまで初めから違うという前提で他からの情報を消化したほうがいいと思う。
つまり、日本人には日本の伝統の中で培われたものが一番合っていると思うのだ。
感染予防や免疫UPに繫がるヒントがそこにあるのかもしれない。
様々な情報を精査して、過信も妄信もせず、その波に足元をすくわれないようにしたい。
菌
ニュース
新型肺炎が日本国内にも蔓延しつつある。明日は我が身。
自分もいつ罹患するかわからない…そんな漠然とした不安の中、いつもの日常を過ごしている。
視覚の発達した人間は目から得る情報に多くを頼ってしまうもので、見えないウイルスに怖さを感じる。実際に死者もでているし、未知のウイルスの治療手段も確立されていないのだから。
ちまたのニュースから察してみると、基礎疾患をもっていると危険が増すようだ。また免疫が弱すぎてもよくなさそうだし、強すぎても逆に免疫細胞が暴走したりして危険な場合もあるようだ。ようはバランスなのか…?ただ子供の罹患が少ないのがマシと言えるのかもしれない。
ウイルスについて色々な説が飛び交っているし、世界中がパニックに陥りつつある中で様々な事情が交錯しているのだろうが、いつも一般人はその流れに身を任せるだけである。とりあえず罹患しない、しても軽症ですむように個々で対策するくらいしかなさそうだ。
常在菌
前に「微生物」の記事で人間と共存している常在菌のことを述べた。普段以上に彼らに頑張ってもらうことが、ひとつの対策になるかもしれない。
それにはありきたりの健康管理法だろう…良い睡眠、良い食物、適度な運動、適度な衛生、適度なストレス、適度な快楽…。ウイルスは洗い流さないといけないが、洗い過ぎて有用菌をとり過ぎないようにしたい。
とても小さなウイルスは脂の膜で覆われている(いないものもある)ので、脂の膜を壊してウイルスを殺せる石鹸や、合成界面活性剤で出来たハンドソープで手洗い必須だろう。「微生物」でも述べたように、自分の主婦湿疹はキッチン合成洗剤による脂のとり過ぎも大きな原因だったので、経験上脂をとり取り過ぎない昔ながらの石鹸の使用をおすすめしたい。
自分の考え
昔はおにぎりを素手で作るのが当たり前だったと思うのだが、最近はラップで包んだり、型に入れたりして作る方のほうが多い感じがする。常在菌の力を信じている私は、自分の家族におにぎりを作る時は必ず素手でに握る。(最近は手洗いも「とれるno.1」粉末で)
私の場合、小さい時からせっせと常在菌をご飯と一緒に食べてもらって、子供の免疫力を間接的に高められたらとの思いからだった。子供は色んな菌やウイルスに接することで病気にもかかることはあるが、自分の力で治癒することで免疫力を少しずつ獲得していくからだ。
私が勝手に、素手のほうが愛情もエネルギーも常在菌もたっぷり入りそうな気がするだけで、科学的根拠はわからない。なので自己満足の域で、こんな考えを安易に他人にはすすめられない。
腸内細菌
ここのところ、やっぱり腸と免疫の関係が大事と再々認識させられた。
ミヤリサン(宮入菌)が何やらいいらしい。まず"ぬか"由来の菌というのが日本人向きなんだそうだ。作用も、有用菌の働きは高め有害菌の働きは弱めて調整してくれるらしい。私自身はR-1とかビフィーナもよく効くのだが、予算が合わないので、せいぜいビオフェルミンかヤクルトをたまに飲む程度だ。
実はミヤリサンは試したことがあるのだが、効き目がゆっくりだったので継続せず、評価できない。どちらにしろ、花粉症の時期の効果も期待しながら上記のいづれかをトライしようと考えている。ここ数年は花粉症の時期はサプリで何とか耐えている状態で、これについては近々別の記事にしたいと思う。
食べる腸内細菌については、人によって合うものは違うし、同じものをずっととっていると効かなくなってくることもあるらしい。なので試してみないとわからない。
何れにしろ感染予防として個々で免疫力を上げておきたい。
子育ては自分育て
監事の任務を終えて
先日、3月に学部を卒業する息子の大学の役員会へ参加してきた。4年間の任期を経て、とうとう終わりがやってきたのだった。
最初は大学になってまでそんなんがあるんか!とちょっとビックリはした。しかし大学の入学式・卒業式、就職先の入社式、果ては親同士のお見合いまであるご時世…そんなもんやねんねと納得。
任期が4年と聞いた時はエッと尻込みしそうになったが、息子がお世話になる大学に寄付金では貢献できないし、それならせめて時間と労力で貢献しようと思い立った。またこれでもう学校に関わることも最後だと思えば、しんみりしてしまったのも否めない。
全国から集まる学生さんもおられる中、自宅から車で30分強で通える範囲は近隣であるし、年に2回の大学訪問だけならそう負担にもならないだろうと思った。それに大学の役員会ってどんなん?という好奇心もあったりした。
実際に、業務は年2回の参加以外になかったので、予想通り負担はなかった。
小・中学校とPTA役員をヒラと本部でトータル4年経験し、自治会でも25年の内、6回程度はヒラも役職も当たり、子供の課外活動でも一度役員を経験した。高校では子供2人ともそれぞれ3年間の役員を入学式の日にくじ引きをした。どちらもハズレたので、これはちょっと休みぃなということやなと納得した。
役員になるのが好きというのではなく、別に嫌いでもないからこんなことになったのだろう。ほとんどの人は無理にストレスを増やしたくないので、やりたがらない。
やれば知り合いも出来るし、いろんな生の情報も聞けるし、学校や先生のこともよく知ることが出来て、メリットも多いのだ。そりゃ余裕のあるおうちの方がやったほうがいいのは事実。今から考えるとよくうちの状況でやったなぁと思う。ここまで読めば結構役員してるやんと思われがちだが、私の役員経験など大したほうではなく、もっとすごい経緯をお持ちの方も何人かいらした。
そんな経験の中、大学の会は一言、つまらなかったなと思う。感想ってそんだけ?って思うけど、そんだけだった。
まぁ当初の目的は達成されたので、よしとしよう。
写真の整理
スマホの写真の整理をしていたら、懐かしい写真に気をとられた。子供が小学生から中学高校、成人へと成長した様子をお手軽にスマホで撮影していた。
年のせいかなんだかしんみりしてしまったが、先日大人になった子供と言い合いをしたばかりだったなと思い出した。
子育ての時期は夫とよく口喧嘩をした。私も到底黙っていない性格だし、主人は昭和の頑固親父みたいな職人気質だし…。子供たちの目の前でバトルをちょこちょこ繰り返したものだった。
きっと今推奨されている育児論では、いろんな面で悪い例にされてしまうような育児だったと思う。
確かに後悔先に立たずで、一生懸命育てた結果がわかるのは20年後くらいなのである。
今の自分だったらもっといい育児が出来る自信があるが…時すでに遅し。
最近は子育て中のお母さんに、(子供についての)夫婦喧嘩は、お互いが子供のことを大事に思っているからこそ白熱するものですよとお伝えしている。
違う環境で育った他人なのに、全く同じ価値観な訳がない。同じ環境で育った兄弟でも違うものだ。まぁその場合は、各々の性格によるのも大きく、同じ事象に対しての受け取り方が違うからだろうと思われる。
脱線したが、子供は夫婦二人の子供だ。自分が100%正しいということはないので、夫婦で上手に折り合いをつけていけばいいと思う。
いつでも頭はやわらか~くしておきたいものだ。(とかいいながら大人になった子供に叱られる時もある)
働く主婦
まだ自立していない子供がいる家庭の主婦は、一般的には子供が最優先で、次に主人、最後に自分という順番である。もちろん2番と3番が逆や、仕事やお姑さんの場合もあるだろう。
子供のお世話を済ませ、主人のお世話も済ませ、やっと自分の時間となるのだが…自分も仕事をしていたら、まずは仕事が最前線にくる。私のためだけの時間は…?
私の場合は、そんなんあるかい!寝ることと食べることと仲良し友達としゃべりまくることぐらいや…という感じだった。それでもこなすぞ!と交感神経MAX状態だったことを思い出す…。
なんでこなせたのかと考えれば、結局のところ子供や主人…家族への愛情やねんなぁと、今になってわかるのであった。
渦中に身を置いている時には、客観的に見るのはかなり難しい。
特に仕事において、例えパートでも職場では「主婦だから…子供がいるから…」という私的な事情は言い訳にはならない。なので、子供の不意のケガや病気に備えて、自分の不調では絶対仕事を休まない!と決心&実行していた。(原付でコケてケガをした時とインフルエンザにかかった時はお休みしましたが)
光陰矢のごとし
子育てだけが自己を成長させてくれるものではない。
仕事も大事な要素なのだが、こうやって20ウン年の子育てで昔よりもちょっぴり忍耐力がついたり、包容力がついたり、物応じしなくなったり…。大小の失敗を乗り越える努力と…それの繰り返しのおかげて、多少は成長したかなと思う。
今現在の子育ては20ウン年前より何かと大変だと思うので、同士?先輩?として応援せずにはいられない。
こんなひ弱な?私でも、働きながらの育児を何とかこなせた。
(子供が自立するという)ゴールは必ず、そう遠くない未来にやってくる‼
カラーパンクチャー
中庸
今回はサロンに少し取り入れている「色」のことです。
色も音も光も全て周波数なんですが、気やエネルギーも周波数かもしれません。
言葉や形も周波数を持っているのかもしれません。なのでそういうものを利用したリラクゼーション法や療術などは沢山あります。
いわゆる非科学的な療法を私自身は否定はしませんし、効果も感じられると思います。効果の感じ方は術者の力量や受け手側の性格やお互いの相性で変わると思います。
しかしそういったものは深みに嵌りやすく、自分を見失う場合もあると思います。
現代になっても科学的や現実的に解明されていないものが沢山あります。特に人間が生きていく上で支障がなければ、解明されなくてもいいんじゃないかなとさえ思います。
そのほうが夢やロマンがあるので…なのでそれを解明したいという人が現れるのですが…。
いつも中庸で、心が落ち着いた冷静な状態…究極は無心で…施術が出来れば理想です。
色
前置きが長くなりましたが、「色」をサロンにどのように取り入れるかと考えています。幼少の頃から絵を描くのが好きで、デッサンよりも色彩のほうが好きでした。
「色」は光が眼の水晶体を通って網膜に当たり、光の情報が電気信号に変換されて視神経を通り、脳に伝わることで初めて認知されるものです。簡単に言えば物体によって吸収する波長と反射する波長があり、反射されている色を上記のように認識しているのです。つまりは光のないところで「色」を認識することは出来ません。暗いから見えないというのはこういう理由ですが、普段はそれが当たり前で何も深く考えることはありません。
周波数による色の効果、色彩心理…サロンにお越し下さる皆様に、身心共に元気UPしていただけるよう上手く取り入れていきたいと思います。
偶然か必然か
たまたま色や光についてネット検索していると、そんなに遠くない所でカラーパンクチャートリートメントをされている「ぽからく庵」という所を見つけました。私自身も色光療法の多少の知識はありますが、なかなかトリートメントを受ける機会がありませんでした。
しかもそこの施術者のミカさんは、私がたしなんでいるヲシテ文字の勉強関連の顔見知りの方でした!(ヲシテ文字についてはまた別の機会に載せたいと思います)
会話を交わしたことはありませんでしたが、なんとなく印象的なお方だったので、早速コンタクトをとり、モニター体験をすることになりました。これも不思議なご縁だと思いました。
星読み
カラーパンクチャー単体では予算が全然足りない(料金が高額(´;ω;`))ので、モニターの星読みとカラーパンクチャーの組合せをお願いしました。カラーパンクチャー自体はほんの数分の施術でしたが、色々と星読みのお話も聞いて楽しく過ごせました。
帰りには身体の変化がありました。走るとちょっとつかえた感じの股関節の軽い痛みがなくなっていました。後は翌日のお通じが快調だったことや、なんとなくスッキリ感がありました。自分で色光療法を肩こりに試してみた時も効果を感じていたので、やっぱり今後、何かの形でサロンでご提供していこうと、改めて思いました。
追記
つい最近、身体を動かす簡単なレッスンを受けました。つくづく動いて緩めることも必要だと感じたので、そちらも並行して取り組みたいと思います!
今年は春以降、何かのワークショップ等のアクションを起こせるよう頑張ります!
阪神淡路大震災から25年
25年前の1月17日の午前5時46分52秒…
揺れで先に目覚めた主人に促され、車に乗り自宅の神戸市北区から428号線を南へ兵庫区まで下りた。
今考えると当時まだ若かった私達は、何も考えずによく有馬街道を下ったものだったなぁと思う。しかも私は長女を妊娠中であった。しかしなんとかがけ崩れや余震にも合わずに街へ下りられた。
九死に一生
神戸市の区画整理で兵庫区から北区に引越したのが、ほんの3週間前だったのだ。
有馬街道を下りて目にした光景は、大規模な映画セットのような家屋倒壊が激しい街の様子だった。それが現実だとはまるで信じられなかった。今でも映像のように頭の中に残っている。
兵庫区の自分の実家や主人の勤務先、親戚、知人…。
家屋の倒壊、道路の陥没、どこからかガスが漏れた匂い…。その時点では火事はさほど起こっていなかったと記憶している。自分の気が動転してたからかもしれないが、人の声や物音が目立って車や機械音がなかったせいか、変に静かだったような気もする。
近しい人の生存は確認できて暫し安堵した。
引越し前の木造ハイツは2階が1階になった状態の全壊だった。そこにいたなら、大けがか命を失っていただろうと思う。
お風呂の水
引越し先の北区は発生地から離れているため、水道は1~2日で復旧、ガス、電気もさほど支障がなかった。それでも2日水道が止まっただけでも、トイレの排水に困った。しかし、たまたま震災の前日にお風呂を洗ってなくて湯舟に水が入ったままだったのでて、手桶で水を汲みトイレを流すことが出来た。それ以来、お風呂は入る直前に洗う癖がついた。
父はたまたま病気で兵庫区の総合病院に入院しており大丈夫だったので、親類をしばらく預かった。それから毎日のように実家を片付けに行ったり、何度かおにぎりを作って持って行ったりした。その地区は次第に支援物資も増え、とりあえずの食べ物は皆に当たるようになっていった。ちょっとパニックになっていた?野良猫が変な行動をしていたのが記憶に残っている。
災害で間接的に
直接ケガをしなくても、その後の生活の激変で様々なストレスを抱え、病気を発症してしまい、亡くなられた方も沢山おられると思う。
私自身、電車が長期間止まってしまい、出産予定だった産院を変えざるをえなかった。しかも近所の総合病院での初産があまりいいお産にならなかった。また主人も震災後の仕事が忙しくなり、私自身の子育てのストレスも多くなってしまった。
もし震災がなかったら…被災地の全ての人の人生は違ったものになっていただろう。しかし過去に戻ることは出来ないので、未来をより良く生きていけるよう努力するしかない。
被災地だけじゃなく
この25年でいろいろな時代の変化が世界中であったと思う。特にコンピューターが普及したことが、人間にとっては生活にかなりの影響を与えた。
時代の激しい変化の中で生きていくことや、近年多くなった自然災害や犯罪の中で、いかに逞しく生きていけるかが、自分にとっての課題である。
自然災害や、人災はいつ起こるか分からないし、巻き込まれないとは言い切れない。
なので、一日一日そのひと時を納得して過ごせるようになりたいものだ。
阪神淡路大震災で亡くなられた皆さまにご冥福をお祈り申し上げます。
時の流れ
松の内
関東では今日でしめ縄などお正月飾りを片付けてしまう方も多いかもしれません。
関西では15日まで飾りますが、ほとんどの方々がもう新年の初出勤を終え、日常に戻ってられていると思います。そんな中いつまで正月気分やねん!とちょっと自分でも思いますが、風習通りに15日まで飾っておくことにします。
松の内というのは神様が家に宿っておられる期間だそうです。
2020年がスタート
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
ブログでは挨拶はいいかなと思いましたが、今日までならばやっておきます。
本業の宣伝のためにブログをあげていますが、昨年はあまり宣伝になる記事はあげられなかったと思います。今年は内容も使いこなしもベターを目指します。
時間の流れ
加齢がすすむにつれて脳内の時間を感じる部分が衰えて、時間の流れを早く感じるようになるというのは本当のことらしいです。
その話ではありません。ここウン十年のうち、今年のお正月は心の余裕があるほうだったので、何事も急がんとこうとせっかちな私はなんとなく決めていました。
まあ平平凡凡な年末年始でいいかなというのもありましたし、色々と計画するほどの意識がありませんでした。
年末は我が家恒例のスーパーで買った握り寿司と、鴨なんばで年越しそば。そばは利尻昆布とカツオの粗削りでとった出し汁に、京都産のお高い合鴨ロースを入れて仕上げました。大晦日は朝からおせち料理を作ります。ウン十年ずっとです。なので幸いウチの子達はお煮しめなどおせち料理はおいしく食べてくれます。まあ子供の頃から食べなれた味なんでおいしく感じて当たり前でしょう。ここ十年ほどは手抜きが横行していますが、お煮しめ、ごまめ、なますはちゃんと作ります。(他も多少作ります)
そして今は大人になった子供と紅白を見ながら、3重のお重箱に盛り付けていきます。
ゆく年くる年を見終えて就寝。元日は主人方の水菜と餅の吸い物お雑煮を食べ、二日は私方の大根人参の白味噌お雑煮。昨年までは関西風にかつお出しでっとていましたが、今年は実父の田舎だった徳島風にいりこ出しでとりました。やっぱりお味噌にはいりこのほうが合うと感じ、おいしくいただきました。
そんなありきたりのお正月に、元日から早くもSNSやメールDMなどで新年のご挨拶が…。友人はともかく、それ以外のはそんな早くからええやん!とちょっぴりうんざり。なのでサロンのご挨拶はゆっくりとさせていただきました。
お正月を家族と過ごせない方もおられるかもしれませんが、一人のゆったりした時間を過ごすのも良し、家族と和気あいあいと過ごすのも良しとして、しばし落ち着きのある穏かな時間を感じるいい機会です。
昔は5日くらいまで店がしまっとってなあ…と子供たちに話しをしました。子供時代、実家で年末には毎年食パン一本を近所の商店街のパン屋さんで買ったり、色々な食材を買い込んだりしてお店屋さんのお正月休みに備えるのを見ながら、ハレの日を待ちわびたものでした。
時は金なり
日本は時間に正確な国で、それは約束を守るなどの美徳や信頼などに繋がるものですが、行き過ぎはおすすめしないです。もうちょっとゆっくりしてもいいんじゃないと思ったりもします。いつも時間に縛られて一日のやらねばならぬ事をこなしてた時期は今考えると、そらしんどいわ~息が浅なって胸郭ガチガチになるわ!です。でもまあそんな時期を過ごした経験があるからこそ、余裕のある今をより一層ありがたく思えるのかもしれません。
どんなに時代が進もうとも、根っこの部分で本質的な時の流れを思い起こせるように、身心を調えていきたいものです。